昨日、ツイッターで「体育のドッチボールでボールから逃げ回ってた男子、見事に全員弱者男性になってる」というのを見て、それは安直過ぎるだろ…と思ったエヂです。⎛´・ω・`⎞
何を隠そう私はドッチボールを「ボールを華麗にかわして逃げ回ったものが勝ち」な競技だと思っていた(最初だけ)。
理屈としては「己より力の劣る個体に狙いを定め、力いっぱいボールを投げ込むという「暴力性」を発揮できなかったオスは、大人になった後も異性の獲得に苦戦するという事が分かった」…であるが…。
ドッチボールが出来ない人は、多くの場合生まれ持ったアビリティの問題であると思う。(多分)
生まれ持った素性が脳筋向きでは無く、「星見」や「預言者」であるだけ…。
つまり大器晩成型なのだ。
大体、人を形作る要素というのは生まれてからドッチボールを休み時間に楽しむ年齢まで…よりも、ドッチボールが終わってから後の方が機会に恵まれるのだ。
多くの人が脳筋ができる無難な「放浪騎士」に生まれ、目指しやすいから脳筋になっちゃうのに対して、「星見」は純魔が目指せる。逆に無難な「放浪騎士」はなりたくても純魔にはそもそも向いて無いからなり難い…ってか、多分無難な脳筋の人は純魔の人生を知らない筈…。
そして、多くの場合、この2人の人生はドッチボール後にクロスオーバーしないと思う。
だから脳筋の人の目には全員弱者男性しか見えないのだ。
つまり、もうそこには居ないだけ…。
脳筋と純魔の人生はクロスオーバーしないのだ。⎛´・ω・`⎞
そして、この世に一番多いのは中途半端な脳筋なのかもしれない…。
これは持論ですけど、ボールを避けまくっていた人が言うと説得力ありませんか?
ボールが苦手な素性の人は純魔か祈祷系(アンバサ)を目指そう!
あ…赤魔道士はやめておけよ!約束だぞ!⎛´・ω・`⎞
さて。
今朝は曇り空の涼しい空の下元気に外に飛び出して朝ランです。
新しいジョギングシューズを買ってもらってから、ジョギングに出かけるのが楽しい!
そして靴はしっかり馴染んできました。
もう全然違和感無し!足の一部のようにピッタリと張り付いてくれます。
今朝はその昔、どうしても途中で歩いてしまう急な勾配が続く道を走ってみました。
やっぱりと言うか…思った通り全く歩かずに上まで普通に登り切れましたね。
ぃゃ、辛いんですけど、歩く程じゃぁ無い。
全く人の身体というのは凄いですよね。適応するんですよ。
そんなワケで今朝は4.5キロを27分でした。
さー、出かけるかな…。