ゲーム

自分的ゲーム史①【テレビゲームが楽しかったあの時代に戻るぜよ!】

2022年4月14日

*この記事は旧ブログであるアメブロ(ejiのブログ)の記事を再構成したものです。アメブロでの記事の投稿日は2018年10月19日でした。(アメブロ側の記事は消去させて頂いております。)

今でこそ死にゲーばっかやっていますが、少し前はモンスターハンターシリーズに夢中で、毎晩のようにオンラインでキャッキャッしていたのは楽しかった想い出…エヂです。( ˘ω˘

私がモンスターハンターをやり始めたのはモンスターハンター2(所謂ドス)からです。

カプコン黄金期の勢いは凄かった!

思えば私的にはゲームを選ぶ基準として昔からメーカーというのが非常に大きなファクターであり、カプンコは子供の頃から自分の中でかなり評価の高いメーカーであったと思うのです。

好きだったメーカーとしてはカプコン、スクウェア(1番最初は確かドッグとか言う名前だったがその当時から特有のセンスの良さが光っていた。)、コナミ、ナムコ…ってなところでしょうか…。

そしてカプコンに関して言うと、古くはゲームセンターが流行っていた頃、大魔界村に感銘を受け、ワンコインで2週クリアーできるまでにハマってしまう。

Capcom Arcade Stadium_20220414190430

因みに1もそうだが大魔界村は2週クリアで初めて真のエンディングを見る事が出来る仕様だった。

因みにこの当時ゲームセンターでゲームを全クリすると周りにギャラリーが出来た時代である。

Capcom Arcade Stadium_20220414190522

ここでギャラリーが見守る中、クリアーした『瞬間』にサッっと席を立つ(つまりエンドロールを見ないで『ただ去るッ!』)『出来る男』プレイが自分の中で流行る。

(クリア)出来る男はクールに去るぜ・・・。

因みに、去っても別の入り口からまた直ぐに入り直し、ギャラリーの様子を見ていたりしたので何ともマヌケなワザではある。

しかしこの時期のカプンコは凄かった。CPシステムと呼ばれた名基盤を使って次々と業務用ゲームにヒット作を生み出していたのは記憶に新しい…。

そしてストライダー飛龍に度肝を抜かれる。

Capcom Arcade Stadium_20220414190908

画面の3分の1はあろうかというキャラが画面せましと飛び回る。

ストライダー飛龍!誰か知らんけど格好いい!

更にこのゲームはシーンに合わせて音楽が劇的に変わるという新しい試みが盛り込まれていて、その音楽はゲームの爽快感に一役買っている。

Capcom Arcade Stadium_20220414190725

このゲームも1コイン(50円)クリアーが出来るまでになってしまい、あまりに好きすぎてカプンコの音楽ユニット『アルフライラワライワ』のカセットテープも購入。

ゲームが豊作だったいい時代

寝る前にゲーム音楽を聞いてから寝る…。実にいい時代である。

この頃はバンナムはただのナムコだったが、ナムコも超絶隣人ベラボーマンとかスプラッターハウス、オーダイン、ワンダーモモ等、非常に攻めていたし、テクモはアルゴスの戦士で独特の世界を築いていたし、タイトーのダライアスの巨大筐体はどこのゲームセンターやボーリング場にもあったりと、なんだかんだで各社非常に元気ないい時代だった。

ゲームの開発費も今と比べ物にならないくらい安かったんだろうなぁ…。

話がそれたが、その後もCPシステムを使ってウィロー、天地を喰らう、エリア88とヒットを飛ばすカプンコ。

この時期の開発力は目を見張る物があったし、カプンコというだけで期待値が高かったし、なにより題材の選び方のセンスが良かった。

因みにエリア88はゲームから先に知って、漫画を全巻購入するというプチ経済効果ももたらしたのであった…。

そして自分的最高傑作だったのがジョジョの奇妙な冒険である。

バン○ムあたりに作らせるとクソゲー間違い無しのキャラゲーもカプンコが作るとめちゃめちゃジョジョだった。

スタンドシステムが素晴らしく、とても良く考えられた名格闘ゲーである。1人で操作しながらスタンドで相手を挟み撃ちとか出来ちゃうという…。

対戦に勝つためにガード跳ね返しやボタン全押しの回り込み等を習得。

割と対戦では強いと自負していたところでチャカ使いにボコボコにやられたのはいい思い出…。

因みに使うキャラは影ディオ…。だって何か格好いいんだもん…。

この頃メーカー各社は業務用で培った技術を家庭用にフィードバックして2度売るというシステムを構築しており、カプンコも大魔界村やエリア88、ジョジョの奇妙な冒険もコンシューマーに続々と移植していく…。

しかしプレイステーション版のジョジョはマシンの能力の問題でスタンドが肌色の半透明だったりと色々アレだった…。(後に出るドリキャス版は完璧!でもドリキャスががががが…。

カプンコの当て感(例えば剣や拳を物体に当てた時の反動感等)はこの時期既に完成されており、この当て感に関しては他のメーカーは足元にも及ばなかったように思う。

例えば機動戦士ガンダム 連邦vsジオンはガンダム物にしては珍しく、開発をカプコンが担当していたのだが、当時それが発表されただけで物凄い安心感を感じたものである。

因みにこの頃はネットが無い時代なので(正確にはあったがダイヤルアップ性で高価だった。)情報収取はファミ通とゲーメストがメイン。

そして初めてファミ通でモンスターハンターのスクープ記事を見る。

今でも覚えているが、スクープ記事に2ページ程割かれており、めちゃめちゃ面白そうだった。

そして思った…。

『ワイがやりたかったんはコレや!』

そしてモンスターハンター購入…。

しかし、雑魚である筈のランポスが強すぎて意味が解らなかった。キャラクターはもっさりとしか動けず、ランスはむちゃくちゃに動かし難いし、片手はペラペラでペチペチなのにモンスだけは早くて強い理不尽感…。

この時期、既に当たり前だったアナログスティックでの視点移動が出来ず、何故か左アナログで移動、右アナログで攻撃、左にある十字キーで視点移動という謎のトリッキー操作にも翻弄される。

そしてその動かし辛いキャラでドスランポスにハンターナイフで挑んではやられる…。

斬っても斬っても全然死なないのだ!(そりゃぁそうだ。ハンターナイフなんだから。)

これはクソゲーだ!ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン

かくしてモンハンは売却された…。

これがモンハンとの出会いである。

そう。ファーストインプレッションは最悪だったのである。

でも無理も無い。当時は困ってもグーグル先生もつべも何も無い時代である。

しかしその後もカプンコラブは続き、バイオシリーズなんかは出るたびにやっていた。

因みにこのころ、カプンコに匹敵する当て感を身に着ける事になるフロムソフトウェアも暗躍しだしていたのだった…。

第2話に続く…。


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