「恋愛映画は得るものが無いから時間の無駄」なんて言葉を聞いた事があるんだけど、人はただ直感だけで恋をする10代から、ある程度の経験を経てイケおじになるワケで…イケおじになってからニキータのLINEをワザと既読にしないで焦らせたり…そんな無駄な事に時間を費やすよりも、様々なモデルケースを見て勉強する…という事に使えるのでは…?と思うエヂです⎛´・ω・`⎞
結婚するのは普通は人生1回…なら恋愛はどうだろうか…?と、はたと考えてみる…
モテモテの人、或いはマッチングアプリなんかを活用して探り恋愛をしたりする人は両手で収まらないかも…だけど、多分…普通は片手くらいなのではなかろうか…と思うのだ
恋愛のやり方なんて十人十色…かも知れないけど、こういう映画を見ると、気持ちの吐露をする…相手の、お互いの気持ちを確認したりする…というのは万国共通で使えそうでありながら、実はこういうのは海外の方の方が上手いんだなぁ…いいなぁ…と…
何が言いたいのかと言うと、恋愛映画だからと言って時間の無駄にはならないと思うのだ…(但し、恋愛コメディーお前はダメだ!)
あらすじ
1983年、家族に連れられて毎年恒例の北イタリアのとある避暑地で一夏を過ごしにやって来た17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、大学教授の父が助手として招いた24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)と出会う
最初は、自信ありげに何でもこなすオリヴァーを疎ましく感じるエリオだったが、湖で一緒に泳ぎ、自転車で街を散策し、本を読み、音楽を聴いたりして共に時間を過ごすうちに、エリオはオリヴァーに対して特別な思いを抱くようになっていく…
やがて、次第に自分の気持ちを抑えられなくなったエリオは、とうとうオリヴァーに対して自分の気持ちを打ち明ける…
オリヴァーは一旦は大人としてエリオを拒むが結局、自分も同じ気持ちであることを伝える
ついにお互いの気持ちを確かめ合ったことで、激しく恋に落ちていく2人だったが、夏の終わりとともにオリヴァーが去る日が近づいてくる…
リアルな気持ちのぶつけ合い
この映画は、淡々と、ただ粛々と…エリオとオリヴァーの出会いから、別れまでが描かれており、派手なアクションも無ければ、驚くようなドンデン返しも無い
ボーイズラブなので、人を選ぶかも知れないんだけど、ちょっと俯瞰で距離を取って考えてみたら、揺れ動く2人の気持ちや、愛し合う2人の姿は、男女の恋愛と何ら代わりは無い事に気付く
これは、人が人を好きになるのに性別なんて…ってやつなんだろう…
見ていると確かにそうかも…と思えるから不思議である(因みにアタシはストレートですあしからず)
ボーイズラブと言えば、同じようなテーマを日本映画で描いた「エゴイスト」が思い出されるんだけど、あちらと比べると、あちらは性描写が激しく、こちらは気持ちの描写が丁寧であり、オリヴァーの誘いのサインや、当初は困惑するエリオの様子等が凄く細やかな描写で描かれているのが対照的で面白い
ただ、一方でエリオが桃を使って自慰行為をしたりといった生々しい、湿ったエロも入っているので、やはり性描写としては強め
しかしながら、何となく見ていてこの映画は何処まで行っても恋愛映画なんだな…ってのは感じた事でもあるんだ
美し過ぎてリアル感が無い
舞台となる北イタリアの避暑地の景色があまりに美しく、日本人から見ると全てが夢物語のような美しさの中で進められていて、現実感に乏しい…
晴れても、雨でも美しく…
食事は家族揃って食卓を囲み、詩的な話をしながらワインを嗜む両親や、夜の湖で美しい男女が泳いだり、お庭?と思しき場所に、狭いけど雰囲気のある流れるプールみたいなのがあったり…
何より主演のティモシー・シャラメが美しく…まぁ、この人は「DUNE/デューン 砂の惑星」でその美しさに更に磨きが掛かる昨今の成長株なんだけど、あまりに美しく青い感じは、平たい顔族から見ると現実感が無さすぎる…
エリオもオリヴァーも上半身を露出するシーンが多く、ラブシーンじゃ無くても裸のシーン多めなんだけど、それもまた現実感が無くて全くいやらしく無いんだ…
まぁ、平たい顔族からすれば、近代的だけど狭い部屋で白米と味噌汁とお漬物を食べ、2人だけの部屋で隠れるように愛を育む方が現実があるのは間違いなく、「美しいボーイズラブの理想」みたいなのをただ見せられたような感じもするんだけど、あっちだとこれが普通なんだから仕方ないよねぇ…