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自分的ゲーム史④【回転拡大縮小時代に生まれたLYNXというマシン】

*この記事は旧ブログであるアメブロ(ejiのブログ)の記事を再構成したものです。アメブロでの記事の投稿日は2020年4月17日でした。(アメブロ側の記事は消去させて頂いております。)

先日、ゲーム史の歴史の移り変わりを見た最もアツい世代は1885年生まれ…というネットの記事を見て、いや…もっと前だろ…。それは違うぞ!と、勝手に突っ込んでいたハタチのエヂです。( ˘ω˘

四角ボタンの初代ファミリーコンピューターはAボタンとBボタンがゴムで出来ていて、押したら戻ってこなくなることなんて良くあった…。

ロードランナーで穴を掘る事が出来ないまま死んだ想い出なんてつい最近じゃぁないか…。

因みにゲーム史において歴史の移り変わり…と言えば、私的にはスーパーファミコン登場時が記憶に新しかったりします。

あの当時、ファミ通とかファミリーコンピューターMagazine、マル勝ファミコンとか乱立していた時代に各紙面を賑わせたのが『回転拡大縮小機能』です。

回転拡大縮小機能!

これは当時、ぃゃ、ゲーム史において画期的で非常に解りやすい機能で、当時は大ニュースだったんです。

そして子供達はスーパーファミコンのその驚愕の機能に胸を躍らせます。

スーパーファミコン以前のゲーム機にはこの回転拡大縮小機能(長い)が搭載されていなかったので、遠くから敵がこっちに迫ってくる…或いは遠くの景色がこちらに迫って…といった状況をパラパラ漫画の要領で再現していたんです。

大きくなる様子を何枚のページをパラパラ漫画のようにするか…によってスムーズさが変わってくるワケです。当然沢山のページを用意してパラパラすればスムーズにこちらに迫ってくるワケですが、当時のROMカセット容量にそんな余裕はないので、どうしてもカクカクカク…!って感じで迫ってくる敵や背景にコレじゃない感を感じたものです。

スーパーファミコン以降はこの回転拡大縮小機能が当たり前のように搭載され、多いに臨場感が増したのは言わずもがな。任天堂もこの時代、必要以上に回転させたり、拡大、縮小させたりといったエフェクトを多用したもんです。

しかし、実は任天堂のスーパーファミコンより先にこの回転拡大縮小機能を搭載したマシンが存在した事を覚えている御仁はいるだろうか…?

スーパーファミコンが世に出たのは1990年であるが、実はその1年前…。1989年にアタリコープ社(アタリから別れた会社)からLYNXという携帯ゲーム機が発売されています。

引用 ©️ATARI GAMES https://ja.wikipedia.org/wiki/Atari_Lynx

そしてこのLYNXが当時としては画期的に高性能だった携帯ゲーム機だった事を知る人は少ない…。

何と任天堂よりも先に回転拡大縮小機能(しつこいw)を搭載していたのだッ!!

しかも携帯機でッ!!

これは凄い!

因みに同じ頃、我らが任天堂が出したゲームボーイはモノクロ…。

LYNXからすればハナクソのような性能であった。

HAHAHA!ジャ○プ!何だその白黒のマシンはw

そんな装備で大丈夫カ?

でも、美しい国、アメリカで開発されたこのマシンはとてもゴツく、日本人のヒョロッとした少年の手にあまる代物であった。

何ならちょっとしたバーベルのような重さ(700グラム)なので長時間プレイをすると筋肉痛になった…。

マジで手が疲れて持ち上げられなくなる有様…。

そうや!寝転んでやれば手が疲れへんから長時間プレイできるわ!

しかしながら疲れて落として顔を直撃したら700グラム+Gの衝撃であった。

そしてこのマシン、恐ろしく燃費が悪く、単三乾電池6本で2~3時間しか持たなかったw

欧米か!!

って、欧米だったか…スマン…。欧米なら仕方ないな…。

しかしバックライト付きなので布団の中でも出来てしまうという…。

You think this is just a portable TV game? Hm?

This was not just a portable TV game.

This was a shining beacon of hope for...oh, I don't know...let's say, a young boy growing up in Kyoto city with a sister, pretending to go to ping-pong practice when his was really going to game center, and playing a potable TV game under the covers at night with a flashlight.

(君はこれをただのゲーム機だと思っているのか?ん?これはただのゲームじゃなかった。輝ける希望の光…。そうだな…例えば、京都市内で妹と育ち、卓球の練習に行くふりをして、実際にはゲームセンターに通い、夜は布団に隠れ懐中電灯の灯りでゲームを遊んだ少年にとってはね。)

~映画プラダを着た悪魔のナイジェルの台詞より~

当時としては全くもって画期的だったマシンである。

因みにローンチソフトはブルーライトニングという3Dシューティング。

これが何とも不思議な雰囲気で凄く楽しかったのだけは記憶している。

ステージクリア型のただのシューティングなのだが、先に進むとどんどん景色が変わり、洋ゲー特有の何とも不思議な雰囲気があった。

何よりもパラパラ漫画じゃない回転拡大縮小機能が手の平の液晶の中で行われる様子は当時としてはもうマジックさえあった。

しつこいが同じ頃、任天堂が出したゲームボーイは白黒だったのだから…。

しかし、このLYNXは全く売れず、この世からひっそりと姿を消した…。

画期的ではあったが、ゴツい手の外人が作ったアタリのゲームが当時の圧倒的任天堂一強時代に入り込む事など初めから不可能だったのだ…。

王将が餃子で中国に殴り込むようなもんである。

しかし、無駄死にでは無かった…と思いたい。

LYNXも長いゲーム史の中に何かを残した…。

お前もまた…強敵(とも)だった…。

ぃゃ、残したっけ?

何も残してないぞ…。

安定のATARIである。

しかしLYNXで何気に縦持ちプレイするガントレットが出ていたのは知らなかった…。

あれはプレイしたかったぜ…。でもあの重いのを縦持ちて…。

筋トレの域に入るな…。


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